今回の勝手に感想文はイシデ電さんのマンガ「私という猫」です。
先日ゲームの「Stray」を紹介しましたが、strayは野良という意味で、stray cat で野良猫を表すそうです。
「私という猫」も野良猫が主人公のマンガということで、野良猫繋がりで感想を書いていきます。
作品概要
もしも私が猫だったらば とっくに死んでいる
「私という猫」 イシデ電
という作者のモノローグから始まるこの作品は、どこか私小説的な雰囲気を漂わせています。
なんたって「私という猫」ですからね。
この作品は、私という猫が存在して、それはどのような生き方だったのかを振り返るお話です。
主人公の「私」はメスの野良猫で、白と黒の体毛を持つ、いわゆる“ハチワレ”の猫です。
自分のことを凡庸で特徴がないと称していますが、しゅるりと伸びた美しいしっぽを誇りに思っています。
時に人間に愛想を振りまきますが、エサをもらえないなら相手をしません。
自分を安く売ることはしない、現実的だが孤高な猫です。
本作ではそんな「私」が野良猫社会の中で、ボス猫や飼われ猫や時に人間と関わっていく様子が描かれています。
ふてぶてしい猫たち
この漫画で描かれる猫はYouTubeやTwitterなどでもてはやされるようなかわいらしい飼い猫ではありません。
厳しい環境を生き抜く自立した野良猫たちです。
それぞれに縄張りを持ち、たくましく生きる一方、何かあればすぐに死んでしまうような儚さも持ち合わせています。
絵のタッチも独特で、筆ペンで書いたような太い主線に加え、セリフは手書きの文字で描かれています。
猫同士の会話もかわいいものではなく、突き放した口論のようなものが多く見られます。
では猫に対する愛がないかと言われれば、むしろその逆です。

そこに愛はあるんか?
野良猫たちには独自の生き方があって、それは人の残飯を漁るような生活かも知れないが、彼ら彼女らなりに矜持を持って生きているのだ。
というように描かれているように私は感じました。
これはTVで流れるような、可愛らしい猫の映像に人間のセリフを足したようなコンテンツとは全く違う思想だなと思うんですよね…(猫動画自体は好きですよ、ブラッシングの動画とかね!)
つまり、人間の願望を猫に投影しているのか、猫の立場から人間を見ようとしているのか、の違いがあると思います。
これは作者が深いレベルで猫に自分を仮託しているからではないかと私は思います。
「もしも私が猫だったら…」という想像で描かれたのではなく、「私は猫だった」というレベルまで突き詰めて考えているような気がします。
だからこのマンガは厳しく、自由で、どこか気まぐれなのではないでしょうか。
さいごに
ここまで紹介したように、本作はちょっと変わった猫マンガです。
作者と猫の一人称がいずれも“私”という言葉で統一されていて、渾然一体とした印象を受けます。
作中登場する猫たちもどこか人間味を帯びていますが、人間のモノサシをそのまま猫に当てはめているわけではありません。
力強いタッチの絵柄を含めて、たまに思い返しては読みたくなるような、そんな作品です。
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